この言葉を私達日本人はごく一般的、日常的に用いています。同時に重要な意味を持つ特別なものとしても意識しています。日常の中で私達は物事の状態、内容について、またその善し悪しについて度々この言葉を用いて表現しています。その意味、内容は常に一定のものではなく状況、状態により様々に異なっています。最も単純な意味としては物と物や時と時などの隔たりがあります。そしてその要素、状態、構造を指し示し、更にそれらの関係およびそれらを総括した意味をも持ってきます。
この言葉は単一の意味として用いられることもありますが多くの場合複数の意味、内容をその中に含んでいます。そして物、事を表す言葉として用いられるのですが、それは物、事を直接指し示すものではなくそれを取り巻く環境や周辺の状況、状態、要素更にそれらの関係を表します。
私達は事物を的確に表現し得る有効なものの一つとしてこの言葉を用いています。それは事物の独自性つまり個性、特性が個そのものだけでなくそれと同等もしくはそれ以上に外的な状況、その内容との関係によって決定されていると考えられていることを意味しています。つまりあらゆる事象は固定した独自性(個性)を持つものではなく置かれた状況、互いの関係の中で色々な可能性を持ちうる一般的存在といえます。私達が知覚、認識している事象の姿は一般的存在のある一時の姿です。それを決定している要素、関係の総称が "ma" です。