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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。ゲージュツ家の日々って…。
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 
 さて、ト、言葉の話でも。

 外国に出るとき、一番不安になるのが言葉、じゃナイでしょうかネ? ここオーストリアじゃ一応、ドイツ語ッてヤツをしゃべるンですよネ。そう、「イッヒ ーベ ディッヒ」ですヨ。

 デ、こちらに来るって事になりまして、日本で1年ほど、とある語学学校てヤツに通ったんですヨ。語学に関しましてはマ、「?」が5ツ以上は付く、という才能の持ち主でして。ガ、ですヨ、ナンと中級まで、1年で中級までいったンですヨ。ですからコノ能天気、コリャ結構大丈夫カモ、と思いますよネ。デ、勇んで日本出発。

 先ず、スイスのチューリッヒ。ここも確かドイツ語。「ニモツヲアズケタインデスケド」「ナンジャカンジャ」「アレッ??」「ニモツヲー・・・」「ドウジャコウジャ」「???」デ、ウイーンに来まして街中の会話。「??デ????ダカラ????ス」「???」アッと言う間に日本でのドイツ語中級は崩れ去ってしまいました、トサ。

 コリャ困ったテンで、慌ててこっちの語学学校に駆け込んだンですヨ。デ、頼み込んで全くの初心者クラス、多少しゃべれるンでダメだって言われたンですけどネ、に無理やり入れてもらったンですヨ。「アー」「ベー」「ツェー」からやるもンで、全部わかる。そりゃそうですよネ。取り敢えず1年はやったんですから。ト、このゾウリムシ体質、経験したことない優等生気分。浮かれてしまいましてネ。他の奴ら、いろんな国がいましたネ、に余計なアドヴァイスなんかチョコチョコするもんですからネ。「エーイ、ウルサイ」ッてあっさりつまみ出されたンですヨ。もう、泣いてもわめいても開かずの扉。仕方なく上のクラスへ。

 ここも当然国際的集団。日本人も何人かいましてネ。デ、前のクラスと違いまして、みんなよくしゃべる、よくしゃべる。単語なんか3つ4つしか知らないのに、とにかくしゃべりまくる。相手が何を言おうが関係ないンですネ。ただひたすら沈黙は日本国民。「謙譲」という美意識を持ってますンでネ。デ、しゃべりまくった奴らは次々と上のクラスへ。後に残された謙譲の国民は1人やめ、2人やめで最後までしつこく残ったのは私ともう1人。今後ろで「ハヨPC代われ」とアタシの頭をこづいてますがネ、そのお方。モウチョットダケ、スンマセン。

 デ、しばらくするとウイーン弁も少しずつ理解が・・ソーなんですよ。方言だったンですヨ、街の人達の言葉が分からなかったのは。ここはウイーン弁。チューリッヒはスイスドイツ語ナンていう方言。スイスのは今でもワカラナイ。ここでもスイスのテレビ番組ナンか放送する事があるンですけど、わざわざドイツ語の字幕がでるぐらいですから、かなりスゴイ。マ、地方地方に方言が、テのは当たり前のことですよネ。日本でも同じですもんネ。

 ドイツ語ッテのはしゃべり方が堅いッて印象があるんですけど、ここの方言はケッコウ柔らかい。デ、抑揚が大きい。そうですネー、チョット名古屋弁の感じかも知れませんネ。「ミャーミャー」「ミェーミェー」。岡山弁と名古屋弁テ何となく似たところがありませン・・・? エッ、「イヌがワン」はどうしたッて?ジャ、タイトルに「1」ッテのを加えておいてくださいヨ。次あたり出てくるカモ?・・・・たぶん?・・・知りませんケド・・

 注:ゾウリムシ体質ッてナニ?・・・単細胞ッて意味で使ったンですけど。「アメーバ」でも「イシハラ」でも「コイズミ」でも、マ、別にナンでもいいンですけどネ。