山陽新聞社ホームページ

岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。ゲージュツ家の日々って…。
これまでの掲載分
 
梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 
 こっちに来てから何度も友人や知人の結婚式てヤツに出ましたけど、イイデスネー、幸せな人達を見るのは。教会でやったりお役所の式場でやったり、マ、場所は宗教的な関係とかで決まったりするわけンですけど。デ、神父さんやら牧師さんやらお役所の係りの人やらが二人にドウタラコウタラ言うわけですヨ。デ、新郎新婦は取り敢えず「JA(ハイ)」とか答えるわけですヨ。あまり「NEIN(イイエ)」て答えるのは聞かない。

 デ、式が終わりまして披露宴。行きつけのレストランナンかでやるンですけど、結構式場と離れてる場合が多い。デ、車を何台も連ねて行くンですネ。会場に着くまでの道程、どの車も「パパパパパ」ッてクラクションを鳴らしながら走るんですよネー。「結婚しましたヨー」テナもんでしょうか。するとですネ、すれ違う車がですネ、やはり「パパパパパ」て。「オメデトウー」「お幸せに」テナ感じですかネ。「勝手にしろー」とか「オカワイソウニ」とかあるかも知れない。この習慣、知らないと変わった暴走族かナンかと思ってしまう。旅行で来た人で、勘違いした人も多いンじゃナイですかネ。

 もう2年前になりますネ。ちょうど今ぐらいの時期。友人の結婚式がハンガリーであったンですヨ。新郎はここの人間ナンですけど、新婦がハンガリー人。両方、マ、友人ナンですけど。デ、そっちで式を、ト、なったンでしょう。当日、私ら家族3人、列車、当然二等車に乗ってトコトコ出かけたンですネ。先ずはブダペストまで。デ、そこから専用バスに乗って目的地まで。ブダペストの駅で列車を降りましてネ、バスの集合場所の方に歩いてたンですヨ。ト、前の車両からある有名人にそっくりの方が降りてきたンですよネ。奥様らしき方と二人連れで。でもそこも二等車。まさかあのお方が二等車に・・・?

 デ、バスの集合場所。ト、そこにもあのお方が。ホントに良くよく似てるンですよネ。デ、バスへ。隣の席。目線チラチラ。ヤッパそっくり・・・でもまさか・・・? バスは1時間ほど長閑な田舎道を走り、現地到着。そこは小さいけどナカナカ雰囲気のいい郊外のお城。ホテルにもなってるらしい。その日はそこにお泊まりナンで、バスの中で部屋の鍵を渡してくれたンですヨ。名前を順番に読み上げましてネ。「Mr.ナントカ」「Ms.カントカ」そして「Dr.K」・・・オヤ!ナンと!御本人だったンですヨ。ソリャそっくりなはずですよネ。デモ、ナンで??・・ココへ??・・・

 お式はナカナカいい雰囲気でしたヨ。ほのぼのと。デ、最後に一部列席者の紹介が。「今日はお孫さんの為にお爺さまが・・・」。ナンと彼の孫だったンですネ、私達の友人は。元オーストリア共和国大統領「Dr.K」国民から絶大な人気と支持を得、2期12年在任。2期目の選挙では政党には属さず、80%以上の得票を集めた庶民派の大統領。当時83歳でしたかネ。元とはいえ、大統領(国家元首)が二等車に乗り、皆と一緒にバスに乗る。しかも当然のように。ナンかニッコリしちゃいますネ。残念ながら、このお式の1カ月程後にお亡くなりになったンですが、式の後はお孫さん達、曾孫さん達、他の皆さん達と楽しそうに夜遅くまで過ごしてらっしゃいましたヨ。庶民派大統領の庶民派らしい一面。ワクワクしましたヨ。