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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。ゲージュツ家の日々って…。
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
取材記者(手前)は梶浦氏の高校時代の同級生。2人の頭髪に50年の歴史が刻まれているようです…
作品名:ナマ梶浦氏3態(in 山陽新聞社)
取材開始直前「えーホントに取材」と言いながらもやる気十分の梶浦氏。
かなりリラックスしてきた梶浦氏。ゲージュツ談義に熱がこもる。
ついに本性を現す! 持参のデジカメで記者を逆取材。写真は後日発表予定。
 オーストリアから一時帰国の梶浦さん。ぶらり、山陽新聞社に立ち寄っていただいたところをインタビュー。「何すんの?」「ウイーン通信特別編」。(聞き手・山陽新聞社メディア本部企画業務部長 井内敏之)

 岡山へは年に一回は帰ってきているんですよね?
 「親孝行の一環ですねえ。熊本出身のカミさんも一人っ子。孫も見せないと行けませんからネ」

 岡山へ帰ってきて、「街が変化したなあ」と思うことはありますか?
 「部分的に。岡山駅前はいろいろ雰囲気が変わりますね。全体のムードは変わらないんだけど。東京に住んで15年、岡山は18年。岡山はホッとするところなんだなあ。いい空気を感じます」

 岡山滞在中、いろいろ会う人も。
 「岡大附中の同級生の有志たちが集まってくれましてねえ。でも、ビビっているんですよ。私は世間の話題に敏感な人ではないから…。雑談が分かるかどうか…。でも、新聞はすみからすみまで読むんですよ。山陽新聞もホームページで読ませてもらっているんです」

 さて、本職の創作活動について−。
(写真1)山陽新聞社ホームページで初公開の梶浦氏作品。社内の女性には「カワイ〜〜っ」と大好評。梶浦氏思わずニッコリ。(写真の上にカーソルを乗せてね)
 「ここんとこ、オーストリアの農家のかたち、家が面白い。屋根や壁のゆがみや、はげ落ちた部分。あったかい雰囲気、空間が好き。これを素材に作品を作っているんです(写真1)。シンプルなかたちにしてね」「自分の作品についての説明は下手なんですが。平面でも、鉛筆で真っ黒に塗って。周りなどを消しゴムで消して家の形に浮き出させる」
 「オーストリアの美術館で6月開催の展覧会に出すんですが、最後のところがもう一丁きまらなくて。困っている」「今年8月13日から19日までは天満屋岡山店の美術ギャラリーで、主タイトルを"ma"(間)に個展を開く予定。こちらも途中まで作品は出来ているんですよ」

 ところで、梶浦さん。なぜオーストリア?
 「日本より、リラックスできるんですね。周りを気にしなくていい雰囲気がある。私ね、人と会うとき緊張するんですが、向こうにいると、例えば大統領にでも気を遣わずにあいさつできるんですよ、例えばね」「なぜオーストリアに行ったかは、以前書いたので見ていただくとして。経済的な面でも住みやすい。仕事で言えば、美術に対しての考え方が合います。私はオーストリアの中でも少数派なんですが、でも誰かがひっかかってくれる。画廊の人でも、作品を社会に出してやろうとか、美術館に紹介してやろうとか…」

 さて、ホームページにいろいろ書いていただいていますが−。
 「私が楽しませてもらっているンですよ」「これが仕事となってしまうと、とてもやれないでしょうネ」「でもネ、よく掲載してくれるなあ、なんて」「作品でもネ、こういう風なものを作ってくれ、と言われてもなかなか良いのは出来ないンデスヨ。」

 梶浦サン、最後にこういい残して、カッコよく去っていったンですヨ。ハハ…。