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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。ゲージュツ家の日々って…。
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 
  デ、展覧会のオープニング。例のお城のお庭であったンですけど、綺麗に着飾ってる人、比較的ラフな感じの人、如何にも作家と分かる・・・・・た姿の人。イロンナ人種がゴッチャゴチャと。何たって町をあげての大イヴェント。老若男女、各界の方々がいらしてますンでネ。アッチコッチで「ハロー!セアヴス!ヴィーゲーツ」いやいやこれはこれはどうも今日はでございまして、ご機嫌の方は如何でございますか、ト、いうような意味でして、チョットくだけた言い方ですけどネ。マ、ナカナカ素敵な社交の場。コッチの人好きナンですよネ、こういうの。

 デ、私の顔見知りも何人か来てましてネ。久しぶりと握手握手、抱擁抱擁。庭の片隅にはバイキングの料理の屋台がずらり並んでまして、旨そうなものがイッパイありますネー。実は娘の「腹減った」の連呼に負けて夕食を済ませ満腹状態デ、チト残念。

 デ、いきなり、ナンの合図もナク始まるセレモニー。若い女性2人がピチピチタイツに身を包みましてネ、舞台の上へ。それだけで十分ですネ。開始の合図ナゾいりませんネ。自然、お客はそっちに注目、シ〜ンと。デ、始まる音楽と踊り。一生懸命踊ってましたヨ。まだ中学生ぐらいでしょうかネ、日本で云えば。学校の制度がチョット違いますンでネ。ブラボーブラボー!!!  デ、町長(市長?どっちでもイイですけど)、企画のオッサン、州文化局のシェフらしき人のご挨拶。は、短めにとは行かないですよネ。日本でもそうですけど、コッチのこういうヤツら、イエ、方々、喋りたがりが多くてネ。人の迷惑考えろッてンだ。マ、今回はアクビのでる前に終わったンで、良かったンですけど。その合間にアコーデオンとサキソフォンの生演奏。デ、展覧会は華々しくオープンしましたとさ。メデタシ、メデタシ。夜も更けた?9時半の事でした。マダ、お日様が西に輝いてましたケド。後は飲めヤ歌えの大騒ぎになったンでしょうか?知りませんけど。モウ十分疲れたバアちゃんと娘を連れて、やはり十分疲れた中年のオジサンはサッサとホテルに帰りましたトサ。

 デ、10時半頃早々とお休みに・・・「疲れた疲れた」と連呼し、帰る途中結構疲れていた父にダッコまでさせた娘は起きていて、一人でウキャウキャと遊んでいましたトサ。

 デ、次の日。ホントに疲れたバアちゃんと夜更かし娘をホテルに残し、お父さんは一人で展覧会を見に行きました。ナンセ街中が会場。テコテコ歩きながらアチコチ見て回ったンですヨ。でも小さな街ですからネ、2時間ほどの散歩でホボ重要な部分は見てしまえましたケド。作品のお写真はナンかは次回纏めてお見せしようかナと思ってますンで、今回はサワリだけ。

 デ、お父さん、途中で足をグキッ。「オッ!ヤバイ!」と冷や汗タラ〜。ガ、痛みがナイ!全くナイ!「ヤレ嬉ヤ、一安心」とスキップスキップ。中年のスキップ姿テ何となく不気味な感じシマセン?更にあちこち歩き回ったンですけど、これが後々悲劇を生むことになろうとは赤影さんもシリマセンでした。