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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。ゲージュツ家の日々って…。
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 
 1泊2日の事で5回になってしまいましたヨ。スイマセンネー、ダラダラと。デ、今回で終わりにしようと思ってンですけど、帰りです。

 バアちゃんと娘はホテルで遊んでますンで、一人で展覧会を見て回りましてネ。実は他の人と一緒に展覧会とか見るのはあまり得意ジャないンですヨ。自分のペースてのがありますンでネ。ですから良かったンですけど。マ、比較的早く見たいものは見れちゃったンで、ホテルに。帰りの用意をしなきゃいけませんからネ。何せ電車が12時1分にあるンですけど、それに乗り遅れると17時過ぎまでナイ!週末ナンで特に少ないンでしょうけど、ナカナカすごい所ナンですよネー、ココは。

 ホテルまでの途中でアイスを買いましてネ。暑いンで断熱用のケースに入れて貰いましてネ。急いで帰ったンですヨ。デ、3人で食い散らかしまして、チョコにヴァニラにハーゼルナッツ。レモン味もありましたネー。デ、ホテルでオベント、サンドイッチですけど、を作ってもらいまして駅へ。駅員さんもお休み。いないンですヨ。デ、勝手に構内へ。ナント、アラフネ君達、前回ご紹介しましたよネ、も同じ電車に。そうですよネ。後5時間もナニするンですよネ。デ、来たときと同じ1両だけの電車でウイーンへ。

 車窓から昨日と変わらない、殆ど、風景を眺めながらのんびり、ト、にわかに、足が・・変・・ナンか足の甲に鈍痛が。「アレッ?」「ナンで?」「アッ!さっきの?」しかし2時間以上も経ってンですヨ「グキッ」とやってから。ヤッパ年、ナンですかネー。反応に時間がかかる。これが前に書きました悲劇ナンですケド。鈍痛はドンドンひどくなりましてネ。少々腫れてきた感じも。勿論歩くときはピョコタン、ピョコタン。コリャ困ったぞト冷や汗タラタラ。医者に行かなきゃいけないかなト。でも、ナンで足首じゃナク、足の甲が?もしかして骨折?だったらコリャ面倒だぞト。マ、取り敢えず次の日まで様子を見ようかなト。デ、益々ひどくなる痛みに靴を脱ぎ座席に足を投げ出す。五本指靴下、私の愛用ナンですけど、を好奇の目に晒す羽目に。デ、ようやく帰宅したンですけど。次の日、すっかり痛みはなくなってましてネ。ナンだコリャ?マ、メデタシ、メデタシ。ト、その程度の悲劇でしたケド。

 デ、帰りも当然乗り換えがありましてネ。ヤッパ工事中のため駅のお外をピョコタンピョコタン遠回り。特急だと30分でウイーン。ガ、娘の希望で2階建て列車に。これ名物ナンですけど、急行ナンですよネ。ウイーンまで45分。

 マ、別に急ぐ訳でもナイですしネ、のんびりとワイン街道(ブドウ畑)を走り・・・イイ眺め。この2階建て列車、ナカナカ乗り心地がいいンですヨ。静かだし、揺れないし、綺麗だし。名前が良いですネ。「イタチ号」日本じゃまず付けないでしょうネ。

 マ、疲れましたけどナカナカ面白い旅でしたヨ。デ、次の日から娘は2泊3日で課外学習、学童保育のですけど、に出かけましたヨ。ウイーンから150km程離れた所の農家に。そこでウシサン、ウマサン、ヒツジサン、ブタサンなんかもいるでしょうネー、ト、生活。楽しみだったンでしょうネー。朝早くから起きてきましてネ。お陰でワタシャ寝不足。デシタ・・・。