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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。ゲージュツ家の日々って…。
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 
 イヤー、本格的に暑くなってきましたネー。何が本格的だかヨク分かりませんけど、取り敢えず。日本は梅雨になったり、もうそろそろ終わりですかネー、台風が来たりで大変なようですけど。

 デ、ワタシャ13日から日本ですンで、この原稿が掲載される頃には、タブン掲載されると思いますけど、岡山、故郷なんですけど、でボーッとしてるかト。

 デ、ウイーンにいらっしゃった方によく聞かれる事ナンですけどネ。ア、話は変わってますンで。こんなに路上駐車してて大丈夫ナノ?ッて。そういわれると確かに、日本じゃあまり見かけない風景ナンですよネ。狭い道でも左右に車がズラーッと。しかもかなり間隔狭く。実はココ路上駐車テのが当たり前ナンですよネ。イエ、昔から。以前、20年ぐらい前ですけど、は交通渋滞ナンて言葉があるンだろうかと思えるぐらい車はスムーズに走り、信号ナンかも2回待つナンてあり得ない。そんなトコだったンですヨ。車が少なかったンでしょうネ。ですから駐車するのもその辺の道端、一応停めてイイ所とイケナイ所があるンですけど、にいつでもスペースがある。デ、そこに置いとけばいいンじゃない・・ト。

 第一ココ、古い建物が、特に街ン中多いでしょう。200年、300年前に、建物の中に駐車場ナンて考えてる訳ナイですよネ。車が無いンですからネ。デ、最近までその辺に停めておいても問題なかった訳ですから、特に駐車場を作る必要もなかった訳ナンですよネ。ガ、1980年代の後半からですかネ。急に車が増えて来ましてネ。だんだん停める所に苦労するようになってきた。デ、アッチでもコッチでも道ばたに車の長い列。更に1989年、東ヨーロッパ、が解放というか、との境界がなくなりましたよネ。それまで西側に出ることがムチャクチャ制限されてたモンですから、一斉にいらしたンですヨ。殆どのお方が車で。デ、どっかに、路上ですネ、車を置いてアチコチ歩き回る。デ、更に停めるところ、要するに駐車場ですネ、に苦労するように。

 2縦列駐車ナンかもよく見るようになりましたネー。デ、遅ればせながらパーキングハウスやら地下駐車場を作り始めたンですけど、モチロン有料、そんなものに金を払う習慣がナイときてますヨ。ですから今でも相変わらずの路上駐車が殆どナンですネ。当然規則もイロイロ厳しくなりまして、駐車違反でお役所、ココは駐車違反の取り締まりは警察じゃナイ、大儲け・・かどうか・・

 デ、縦列駐車。ココのヤツら旨いですヨー、停めるのが。パなんとかの街みたいにぶつけて出し入れナンてしない。そんな野蛮じゃナイですからネ。旨くすり入れすり出る。マ、当たッちまう事はあるでしょうけどネ。

 デ、ここの人みんな一台の車に結構長く乗るンですヨ。ココでお写真2枚。左のナンバープレートは新しいヤツ。右の暗い緑、ナンですけど、のヤツは古いタイプ。確か変わったのは12〜3年前だと思うンですけど、今でも古いタイプのヤツを結構見かけるンですヨ。車を換える時には新しいのにスル訳ですから、そいつら12〜3年以上乗ってる訳ですよネ、同じ車に。しっかり乗ってもらえて車も、マ、嬉しいンじゃナイかなッて・・・思うわけでして・・・