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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。
梶浦氏へのメールは
wien@sanyo.oni.co.jp
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 デ、パセリ君、機内で付けてしまった香、前回参照、を微妙に漂わせながら母の国ウ イーンに到着しましてネ。早速新たな住まいへ。古い街並みの、中心街チョイ外の閑静なナカナカの住宅街。建物もリッパ。お部屋も広い。東京じゃ54uでしたかネ。これでも経済的には無理してたンですけど、今度は120u、お家賃3割安。お得ですネー。ナンせ倍以上の広さになったモンですから、コヤツも大喜び。点検も念入りにしまして、デ、ダッシュの具合も確かめまして、なんとなく満足そう。

 マ、殆ど違和感無く、というより日本より生き生きとした新たな生活に入った、トいうわけでして。マ、毎日何をするッてわけでもありませんし、ノンビリボー。窓から外を眺めたり、日向ぼっこをしてみたり、時には部屋の隅々までダッシュダッシュ。ナンせまだ若かったですからネ、ヤツも。周りを特には気にするタイプでもありませんで、誰が来ようと懐くでもなく、人見知りをするでもなく。

 タダ、余り構われるのは、ヤ、だったみたいでしてネ。この辺私と結構似てるかナ、ト。別に血のつながりがある訳じゃありませんけど。一度だけ職業を持ったことがありましてネ。有名カメラマンのT氏、どっかの項に出演して戴きましたケド、が「これからは猫といえども自立し、職業を持つべきだ」ト、世話した事ナンですけど、トイレの番猫テノを暫くやってたンですヨ。トイレのドアの前に寝そべりまして、横にはお皿が置いてある。

 デ、トイレを使用したいとき、お皿に小銭、幾らでもいいンですけど、を入れますと、ハイどうぞト退いてくれる、トいうわけ。結構皆さんこの職業には協力してくれましてネ、お皿はアッという間に満杯になるンですヨ。ト、私達がお金を貯金箱に入れる。かなり長い間この職業をやってましたネー。今の住まいに引っ越すまでやってましたかネ。

 デ、結構な額貯まりましてネ。引っ越しでお金を使い果たした私らの生活の補助としてお借りしたンですけど、まだ返してませんネー。もう一人家族が増えたときですけど。正直、最初チョット心配だったンですけど、ホント気遣いの出来るヤツでしたネー。拗ねるでもなく焼きモチを焼くでもなく、適当な距離を置いて一緒に昼寝をしたり、ソット見守ってンですよネ。新人が妙なチョッカイを出した時とか、悪戯をした時とか猫パンチで躾もしてくれたンですヨ。けど、決して爪は出さないンですよネ。イヤ、感心しましたヨ。4つの個性が気ままな調和を作りながら生活をしたナカナカ良い時でしたネー。ある日ですネ、友人宅に招待されまして、私ら3人パセリ君を残して出かけたンですヨ。

 デ、夜、チョット遅くに帰宅したンですけど、既にいつもの寝場所で眠ってましてネ。デ、ズット。いつもと同じ格好でしたネ。ナンの挨拶もありませんでしてネ。マ、ヤツらしいンですけど。それから数日一緒に過ごしまして、可愛がって戴いた方々にお別れをしましてネ。

 デ、今ナンですけど、チョット軽く、形も変わりましたけど、我が家の中の専用小部屋で静かにしてますヨ。ホント、ヤツと一緒の生活は楽しかったですヨ。逸話もまだまだ一杯あるンですけど、取り敢えずこのぐらいで。また機会がありましたら書かせて戴くカモ。

 デ、一つズット疑問に思ってる事があるンですけど。ヤツは自分の事を猫だと自覚してたンでしょうかネー。私ら始め人間との付き合いが殆どで、他の猫と接する事は非常に希でしたし、鏡とかには興味がなかったもんで、自分の姿を眺めたでもナシ。マ、チョット何処か私らと自分は違う、トハ思ってたでしょうけど。どうナンでしょう?時々フトこの事を思いますネー。

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 梶浦さんのメールアドレスは wien@sanyo.oni.co.jpです。梶浦さんへのお便りや、作品についてのお問い合わせをどうぞ。