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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。
梶浦氏へのメールは
wien@sanyo.oni.co.jp
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 やって来ましたヨ、展覧会。

 チョイ詳しく言いますと、現場で作品を一つ作りまして、既に運んであった作品と一緒に設置、展示ですネ、しまして、オープニングのパーティをやって戴きまして、あ まりに疲れたのでパーティの後早々に深夜の列車で帰ってきた、テ事ナンですけど。 展覧会の方は今月25日までやってまして、皆様是非是非いらしてくださいネ。ナカ ナカ良い展示になりましたンで。マ、チョット遠いですけど。

 今回、展示期間はいつもより少々短めナンですヨ。コッチの展覧会、4週間てのが、 マ、多いンですけど。デ、作家は大抵オープニングにいるだけ。

 今回は15年来の友人"ほのぼのMAKRA(マクラ)君"ト我が家では呼んでるンで すけど、というヤツと15年ぶりのジョイント展。その間グループ展とかでは何度も 一緒に展示したンですけどネ。久々でお互いに楽しみながら制作、展示をしてきまし たヨ。

 ウイーンから250km程西、ザルツブルグ、ご存じですよネ、モーツァルトさんが 生まれたとかの街でして、の方向にですネPuchheim(プーフハイム)というあまり 大きくない町がありまして、街中チョイ外れに古いお城があるンですヨ。そのお城の 塔の中が展示場、ギャラリーですネ、になってンです。市の経営でしてネ。

 オープニングの2日前、午後からのんびり現地に出かけようかナ、ト思ってましたら、 ギャラリー担当者から電話がありましてネ。TVの取材があるから早く来い、ト。デ、 慌てて準備して昼飯食って列車に飛び乗ったンですヨ。


 乗ってしまえば後はのんびり窓の外を眺めながらの小旅行。菜の花畑、ここの春の象 徴テナ感じですけど、が綺麗に広がってましてネ。ここンとこの私のモティーフ古い 農家の建物も点々とありまして、チョイトお写真を。ン〜〜ン、イイ雰囲気ですネー。デ、Attnang-Puchhaim(アトゥナング・プーフハイム)というチト面倒くさい名 前の駅に到着しましたら画廊責任者のオッサンが迎えに来てくれてまして、取材は明 日の朝になったトカ・・・・・・・・ハハ・・・・・

 マ、何も準備出来てませんのでその方が良いンですけどネ。

 デ、その日はじっくりと展示プランを練ることにしましてネ。後、現場で一つ制作を する事になってましたので、そっちの準備も。

 制作用のパネル、画面になるンですけど、を用意してくれてましてネ。デ、殆ど即興 でその場で何かを作る訳でして、単に私が事前に何も考えてナイだけですけど、古い 漆喰の壁にスリスリしながら、暫し静かに瞑想の時。

 実は想像してた、勝手にですけど、パネルとかなりプロポーションが違ってまして、 焦る気持ちをナンとか落ち着かせてたンですネ。マ、お陰様でこういう時、結構な集 中力がでてくるタイプでして、今回も新しい試みのアイデアが沸々ト。デ、出てきま すと顔がニンマリ状態になるみたいで、周りは少々不気味カモ状態。

 そうこうする内、マクラ君がほのぼのとやって来まして、ハロー、セア・ヴス(コッ チの挨拶)。チョイ制作、展示の打ち合わせをしまして、少し基本的な展示もしまし たネ、デ、今夜のお宿は修道院。

 修道院テノは昔からいろんな事をやってるみたいでしてネ。ワイン作りナンかイイ収 入になるみたいですけど、ホテルもやってンですヨ。マ、お部屋にTVナンか当然の ようにありませんで、トイレもシャワーも勿論共同。エレベーターはありましたネ。 窓からは遠くアルプスの山々が見えまして、近くには緑が広がってましてネ。その中 に大きな工場が。マ、ナカナカの眺めでしたヨ。決して悪くない。空気も心地よかっ たですしネ。写真は撮る気がしませんでしたケド。

 デ、次の日に備えてチト早めに就寝デシテ・・・・・・nn・・・・・・デ、朝。

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 梶浦さんのメールアドレスは wien@sanyo.oni.co.jpです。梶浦さんへのお便りや、作品についてのお問い合わせをどうぞ。