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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。ゲージュツ家の日々って…。
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 
 20年程前と今のウイーン、相変わらず古き良き風情は続いてはいるンですけど、やはり少しずつ変化もしてるンですヨ。中心街でもお店の様子がかなり変わりましたし、少し外れたところには新しいビルがドンドン建ち並び、新旧の対照が目立ってきましてネ。チョットどうかナ?と思うことも正直ありますけどネ。

 私の周りでもイロイロと変化が当然ありましてネ。今年の1月末ですけど、ウイーンのある画廊が店じまいをしましてネ。「TILLER」(ティラー)ていうンですけど、オープンは確か1989年の12月でしたネ。ですから12年とチョットですか。私、このギャラリーとは出来た当時からの付き合いでしてネ。新しい、いい画廊がオープンする、ト、知人から聞きましてネ。連れてってもらったンですヨ。

 当時この画廊は、ウイーンの中でも最も高級といわれる住宅街の中にポツンとありましてネ、マ、珍しい画廊だったンですヨ。1500年代からの住宅を改築しまして、ナカナカ雰囲気のある展示スペースを持ってたンですヨ。庭も広かったですネ。1500平方メートルとか言ってましたけど、時々立体作品を庭にも展示してましたネ。そのころの私は、何処に行くにも作品の資料を持ち歩いてまして、すぐに見せる。時々どっかの誰かサンから顰蹙(ひんしゅく)を買う、ナンて事もありましたけど、そういうことはあまり気にしないタイプなモンで・・タブン?・・幸い、その時は気に入ってもらえましてネ。比較的早い機会に、展覧会が出来ることになったンですヨ。

 画廊のご主人は女性でしてネ。結構多いンですヨ、女性の画廊主。男性よりもある意味では向いてると思う。例えば男性には1人と話し込んでしまう人が多いようナンですけど、女性の場合、多数の人をテンポよく相手できる人が多い、とかネ。また、見るからに理知的とか、性格強そうとかッテのも女性の方が多い。デ、彼女、そういった意味では非常に珍しいタイプ。見るからに人の良さそうなホンワカムード。デ、実は、ヤッパ見たまんま。私らも仲間内で「ティラーのおばさん」ナンて親しみを込めて呼んでンですヨ。

 デ、私のそこでの最初の展覧会。確かほとんど売れなかったンですよネ。でも、根気よく付き合ってくれましてネ。何度か展覧会をやらせて戴きましてネ、マ、結果お陰様でソコソコ売れましたヨ。他にも色々な事を一緒にやりましてネ。特に、日本の作家をこちらに紹介したり、こちらの作家を日本に紹介したりテノを何回もやりましたネ。経済的な面、言葉の違い、連絡一つ取るのもかなり大変でしたけどネ。その度に一生懸命それぞれの作家の面倒を見てくれるンですヨ。ウイーンでは最も多く日本人作家を扱った、紹介した画廊じゃナイですかネ。

 数年前に街の中心街に引っ越したンですけど、それから私はチョットご無沙汰してましてネ。イロイロと精力的にやってらっしゃたようですけど、体調を崩されたとか。この辺で画廊の仕事にピリオドを、ト、なったようですヨ。すごくイイ画廊でしたからネ、残念ですヨ。他の画廊にはなかなかナイあったかい雰囲気がありましてネ。ここで知り合った作家もたくさんいますけど、おばさんの人柄からか、皆、人の良いヤツらばかりナンですヨ。この画廊での事は、あったかいモノとして、かかわった人達の中に残るンじゃないでしょうかネー。