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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。ゲージュツ家の日々って…。
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 
 デ、お待たせしました、一部の方だけでしょうけど、日本滞在報告です。

23日、勿論4月ですけど、取り敢えず無事ウイーンに帰ってきまして、チョット時差ボケ状態。そのリハビリ、ボケ防止ナンかも兼ねまして書いてみますネ。

 今回はオヤジの1周忌での帰国ナンですけど、マ、そっちの方はお袋が準備をしてくれてたンでワタシャ「ただいるだけで結構」状態。しかし早いモンですネー。1年ナンて「アッ」という間。おじさんおばさん方が集まりまして正しいお年寄りの集い。皆さんイイ方ばかりで助けられてますヨ。

 10日程の短い日本滞在だったンですけど、普段失礼をしてる友人とか知人にもこの際ご挨拶をとアッチへチョロチョロ、ソッチはどこですか。ボーッとする合間を縫って出かけましたけど。これを載っけて戴いてます某「S新聞社」にも"チョット来い"との指令を受けましてお邪魔してきましたヨ。何をされるのかビビリ状態だったンですけど、それはマア丁寧な対応をして戴きまして、一安心。その模様は前回「特別編」でしたかネ、このコーナーでご紹介戴いてますケド。私の意味不明の発言をマー、旨く取り繕って、イエ、纏めてくださってますこと。さすがプロ。そのお礼に「イ」氏、私をここに登場させてくださった方ナンですけど、のお写真でもと思ったンですけどカットされる恐れがありますンでネ。別の場所に送っておきましたヨ。興味あるオヒマなお方が、もしもですヨ、本当にもしもいらっしゃいましたら探してみてください。別に無理しなくてもイイですヨ。但し、見た後の責任は持ちませんけど。見つかンないかも知れませんけど・・・

 デ、たまに日本に帰ってくるッてンで、中学校の同期の連中が集まってくれましてネ、大阪、岡山を股に掛け連夜の大宴会。先ずは岡山編。予定された会場「メ・・・ク」、ここはその昔私が結婚式などという正に大それた事をやった所でもあるンですけど、に一人二人と集まってきましてネ。和やかな中にも次第に盛り上がッてきたンですヨ。私以外の皆様は社会の一線で活躍されているお忙しい方々、何をなさってるか良く知りませんけど、主婦としてご亭主をビシバシ教育、操縦なさってる、と思われる、方々。日頃の鬱憤を晴らすかのようにここぞとばかり、普段通りかも知れませんけど、飲めや唄えの大騒ぎ。(チョット古めのフレーズでした。)岡山の街のほんの一部で暴徒と化して中年ビームの乱射しまくり。ただ飲んで食ってお喋りをしただけという見方もありますが。

日本で言うマロニエ、栃の木の一種ですネ。ここじゃカスターニアていうンですけど、の花。この街の街路樹の多くがコレ。チョッピリでもウイーンの雰囲気をと思いまして…

 果ては一見平和に見えるある家庭に乱入し、家族を巻き込んでの乱暴狼藉。(再び古いフレーズでゴメンナサイ。)デ、酒は持ち込むワ、おつまみは持ち込むワ、持ち込み料無しで、一応許可ナンか取ってそこにあったPCを使いまくるワ、携帯電話であちこちに暗号を送ったり宇宙との交信を始めたりでもう大変。挙げ句の果てに無理矢理カバンにまで酒を飲ませるヤツ、誰彼構わず引導を渡したがるヤツまで出てきてしまいましてネ。コリャたまらんとワインをがぶ飲みするその家の母娘。それを横目に亭主特性のソバパスタを食い散らかしていつの間にか闇夜に散っていったとさ。岡山深夜の事でした。

 一部表現に誇張された部分があったかも・・・デ、次は大阪編ナンですけど、パート2の方で・・・

 当人の許可を得ずに書いてるもんで「仮名」てことにさせて戴きますネ。別にいいンですけど。