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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。ゲージュツ家の日々って…。
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 
 エー、先日、6月22日と23日ですけど、「Fuerstenfeld」、フュルステンフェルドと読んでくださいネ、テいう所に行ってきましてネ。旧ユーゴスラビア、今のスロベニアとの国境近くの街でして。ア、それからハンガリーとの国境近くでもあるンですけど。チョットややこしい所ナンですけど。マ、お暇トいうか興味のある方、地図ででも探してみてくださいネ。ナンせ大きくナイ町ですのでチョット大変かも、探すの。

 デ、ナニしにッテ? 展覧会ですヨ。ある日突然手紙が来ましてネ。「町をあげて立体作品のダイ・だい・大展覧会をやるンで参加しないかい?」ト。ここ暫くそういったものに参加してなかったンですよネ、ナンか面倒でネ。昔、7〜8年前まで、は話があれば殆ど全ての展覧会に参加しましてネ。殆ど毎月一つの感じデやってたンですヨ。アッチで跳ねたりソッチで転がり、右へ左へスキップスキップ。デ、年と共に疲れて来ましてネ。つまンないのも結構ありましたからネ。デ、少しノンビリと制作をしたいと、殆どのお誘いをゴメンしてたンですヨ。

 デ、マア、作品もいろいろ出来ましたンでソロソロ色んな所にお邪魔させて戴こうか、ナンて思いましてネ。100人以上の作家がオーストリア中から参加してまして、そン中に懐かしい名前もいましてネ。昔幾つも一緒に展覧会をやった連中が。デ、行ったことのナイ所でしたのでムスメとバアちゃん、初めてウイーンに来て何処にも出てかないモンですから、ナカナカ連れて行く時間も取れナイもんで、を連れてトコトコと。

 22日、土曜日出発。南駅トいうところから列車で。事前に調べたら4時間に1本しか週末は列車がナイ! しかも途中乗り換え。少々不安が頭を過ぎりましてネ。デモ、マ、ナンとかなるだろうト。

 デ、出発。先ずは特急列車ですヨ。30分程行きましてネ、デ、乗り換え。乗り換え時間7分。デ、ホームは? 1bに行けと。駅が大改装工事中。デ、一端外に出て大きくぐるりと廻ってアセアセとたどり着く。時間ぎりぎり。ト、待っていたのは1両だけの電車ナンですヨ。エッ、ホントこれ? 行き先は・・・確かにそう書いてある・・・ンで間違いナイでしょう。

 揺られること2時間半。ナンセ各駅停車ですからネ。田舎風景を眺めるッキャない。マ、長閑でイイですけど。最初満員だったンですけど目的地に着く頃には車内も残り数人に。デ、ヤット到着。たどり着いたッて感じですかネ。

 ホテルの方はもう予約してありまして、ナンと4ツ星ですヨ、四つ星。帰りの便を考えまして駅前に。ナンセ年寄りと文句の多いガキがいますンでネ。タダ、街の中心街までは10分ほどテクテクと。もう10分行くと通り抜ける。朝食付き3人で9千円程・・ハハ、いいでしょう。ここでは一番高いホテルなんですヨ。お部屋はマアマアでしたネ。

 デ、少し休みまして、サテ、展示会場へチョックラお散歩をト。デ、後は次ン時又書きますネ。