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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。ゲージュツ家の日々って…。
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 
    デ、今回の作品。チョットわかりづらいンですけど、ガラスに描いてるンですヨ。一枚のガラスに建物の形を一つ描きまして、もう一枚にもう一つ。デ、少し隙間を開けまして重ねてるンですヨ。白い背景、これもガラスから少し離してあるンですけど、に影が映るンですヨ。多重空間を作りたかったンですネ。本物はモット面白いですヨ、ト、思うンですけど・・・?

 デ、先日、無事、ダト思うンですケド、結婚19年を迎えまして、20年目に突入。早いッていえば早いですし、ヤットといえばヤットですけど。21年程前でしたネ、ココ、ウイーンですけど、で雪の降る寒い日にトボトボと横丁を歩いてましてネ。デ、何を思ったのかフト三軒先の教会の角を曲がったンですヨ。ト、そこで偶然。マ、ナンて言いますか、その後イロイロありましてネー。お茶したり飯食ったり、音楽会にオペラ。みんなでワイワイトランプなんかも良くやりましたネー。デ、結婚まで・・・。取り敢えず、一部事実と異なるところがございましたケド。出会ったのは夏でしたネ。デ、ドイツ語学校かナンかでしたネ。スンマセン・・・特に他意はアリマセンので。

 デ、結婚記念日てヤツ。こいつが律儀にも毎年やってくるらしいンですけど、チョット惚けたヤツでしてネ。あまり気にしない性格ッて言いますか、手前で道草食って忘れたり、ボーッと行き過ぎて後で気付いたり。まともにやって来たのは精々2、3回・・でしょうか。1年目と後は・・・・? 通り過ぎようとしたところをご近所の方に言われて、ナンて事もあったみたいですけどネ。マ、お気楽なヤツですヨ、こヤツは。

 デ、尋ねて来た時には、取り敢えずよく来たよく来たてンで、折角ですからドッカお外で飯でも食おうか・・テなるわけでして。デ、先日は近所の和食屋さん。時々お邪魔するンですけど。娘、7年半前に突然短いへその緒で現れましてネ、笑ったのナンのッて、が結構このお店好きなモンで。マ、お値段も手頃、お味も安心ですので我が家にしてはちょくちょく。ここのマスターが控えめに微笑みながら黙々と寿司を握る姿、これがマタいいンですよネ。

 デ、この日はカウンターに三人並びまして、デ、揃ってお寿司でも・・ト。私は特大、娘は少な目のモノ、カミサンは鉄火丼でしたかネ。更にギョウザ二皿に茶碗蒸し、これはカミサン、もという暴挙にでましてネ。デ、娘。いつものようにサビ抜きのヤツを頼みましたらネ、オットこりゃ不満顔。もう大きいんだから普通のヤツ。・・・の入ってるヤツがイイなど・・ト。確信にもにた不安を抱えた両親と長時間に渡る話し合いの結果、安全の事も考えまして少量だけ付けてもらうことに決定。

 さて、料理が運ばれてきましてネ。娘、チョッピリ大人の気分。デ、満面の笑みを浮かべながら、まず鉄火巻きをバクリ。モグモグ。微妙に変化する表情。グッと我慢。オイシイと取り敢えず。マ、諦めは非常に早い達と言いますかネ。我慢とか根性とかにはあまり縁のない特質でして、次からはセッセと魚を捲って・・・の除去。廻り、私とカミサンですけど、の非難の声には言い訳百倍。更に食べたいものだけ食べまして、後はお父さんのために残してあげるダト。わさび巻きでも口にねじ込んでやろうかト一瞬思う父でした。