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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。
梶浦氏へのメールは
wien@sanyo.oni.co.jp
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 コヤツが自分の事も書け書けッてうるさいモンですから、チョイトこの辺で、ト。コヤツとは14年半程でしたかネ、一緒に暮らしたンですけど、ナカナカ出来たヤツでしてネ。マ、勿論意見が合わないトカ、わがままを言って困らせたトカいろいろありましたけど、マ、ヤツのお陰で楽しく暮らせた事は確かですネー。パセリてのはコヤツの名前でして。チョイト変わってるでショ。お母さんはウイーン生まれのウイーン育ち。が、ある日、日本に移住しましてネ。デ、浜名湖の辺を散歩中に、日本のお方、相手は定かじゃありませんけど、と・・・・しましてネ。デ、コヤツが生まれたトいう訳でして。日墺の混血。何故パセリかって言いますと・・・・・・・ハハ・・・???

 デ、生後1ヶ月ぐらいでしたかネ。田舎道をくぐり抜け、東名、首都高をすっ飛ばしまして、安全運転を心掛けましょう、当時の我が家、東京の坂下テとこに来たンですヨ。丁度私の手のひらの大きさでしたネー。私と違って目はパッチリ。長旅の疲れも見せず、先ずは恒例の点検点検。部屋の隅々まで丁寧にチェックしてましたヨ。 デ、すぐに家族として打ち解けた、カト思うンですけど。

 デ、暫く後にはみんなでコッチ、ウイーンですけど、に来ることが決まってましてネ。コヤツにとって里帰り、テ言っていいンでしょうか、になるンですけど。ウイーンの街中は共同住宅バッカでしてネ。コヤツらが外にでることはまず無いンですヨ。ア、コヤツは一応「ネコ」とかいう種類でして。

  デ、外を自由に走り回ってるとスグ保護されてしまう。デ、行方が分からなくなる事も多々ナンですヨ。デ、狭いマンションだったンですけど、東京は家賃高いですからネ、お部屋の中だけで生活して戴くことに、慣れていただくためですけど、したンですヨ。退屈しないよう、運動不足にならないようイロイロとこさえたり工夫をしましたけどネ。コヤツもお手トカ、私の尻登り、今でもその傷は残ってますけど、トカ、百面相、猫車、今では懐かしいインベーダーゲームとかの芸を見せてくれましてネ。よく分からない所もあるかとは思いますけど。マ、楽しい東京生活をしてたンですヨ。

  デ、1年ちょっとしまして、遂にコッチに来ることになりましてネ。コヤツ、混血のせいかどうかは知りませんけど、我が家に来たときの手のひら大500g。

 デ、3ヶ月後には肩幅大4kg。デ、こっちに来る前には7kg以上にスクスクと成長しましてネ。かごに入れますと合計9kg以上。

 デ、コヤツの航空運賃はナント1kg7000円。ちょっとした出費を覚悟しましたけどネ。 デ、出発前の1ヶ月は私共のご両親様とかあちこちに挨拶回り。コヤツも当然付いてきましてネ。

 デ、マ、イロイロ事情を察したのか、その間にダイエットもしてくれましてネ。引きずり回されて単に疲れただけかも知れませんけど。マ、アリ殺し、ですか、を舐めるナンてアクシデント、ホントやばかったンですけど、もありまして、出発の時は4.5kgに減量成功。家計を助けてくれたンですヨ。 デ、イヨイヨ出発。元来乗り物の中ではメッチャおとなしいタチでして、列車でもバスでも一声も発しない。

 デ、殆ど気付かれた事がない。飛行機の中も案の定ひたすら沈黙状態。ヤッパ誰も気付かない。ただ乗り換えのモスクワ到着前、30分以上続いた低空飛行にビビッタ、カミサンなんか完璧固まってましたけどネ、のか、しっかりお漏らししてしまいましてネ。お掃除の方スンマセンでした。一応私達も拭いたンですけどネ。

 デ、イヨイヨ母の故郷ウイーンに到着。コヤツと私らの新しい生活が始まったンですヨ。

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 梶浦さんのメールアドレスは wien@sanyo.oni.co.jpです。梶浦さんへのお便りや、作品についてのお問い合わせをどうぞ。