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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。
梶浦氏へのメールは
wien@sanyo.oni.co.jp
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 今日はすっかり春、というよりそれを通り越して初夏テナ陽気ですヨ。お天気もイイですしネー。日向でチョット動くと汗ばんでしまいますヨ。もうこのまま春〜〜〜でしょう、ネ。

 デ、先日チョット嬉しいことがありましてネ。ト、取り敢えずタイトル通り。このHPに気ままに書かせて戴いて早1年ンヶ月。デ、この前から、いつからでしたか忘れましたけど、私へのメール・アドレスも作って戴きまして。デ、戴くメールは殆ど妙な広告。しかし、イロイロありますネー。知人からの励ましのメール、この場をお借りしましてアリガトウ、もありますけど、ナカナカ他の方からは戴けませんでネ。マ、チョイトばかし・・・・してたンですヨ。

 デ、先日ですけど、正真正銘来読者電信祝祝祝、となりましてネ。これがとってもイイ内容。自然にニッと。私が以前、当たり前ですネ、以後な訳がない、このHPに載っけましたあるお写真にですヨ、ナントその方のお孫さんが写ってたンですトカ。デ、驚かれて、喜んで戴いて早速メールを下さったトいう訳でしてネ。イヤ、私も嬉しかったですネー。

 デ、少しホッとしましたですヨ。知人以外には読んで戴けてないのかも、ナンてチト寂しい思いもありましたンでネ。結構気が小さいンですヨ、私。

 デ、その方、お嬢さんがコッチに音楽のお勉強にいらっしゃたトカ。留学トいうヤツですネ。マ、2〜3年ナンて思ってらっしゃったらしいンですけど、ナカナカ思い通りにはいかない。そういう現状、沢山見てますからネ。

 デ、お嬢さんこちらで幸せに出会ってしまわれましてネ。デ、お父さんはチト寂しい、カモ。マ、お孫さんも出来ましてネ、ヨカッタヨカッタ、ト。でも、結構ここまで遠いもんですからネ、チョットお散歩がてら会いにというわけにも、マ、なかなかでして。ある日気まぐれにこのHP御覧になりましたらネ。ウイーン・・・ナンて如何にも怪しげなコーナーがあるじゃありませんか。デ、チョイト、ト覗いてみられたンですよネ。ト、ン?アン?ヘ?でトンデハネテサンカイテンハンフタヒネリ、失礼しました、トなったようでして。

 ソリャそうですよネー。誰もンな事考えませんものネー。ホント奇遇ですよネー。どンぐらいの確率なんでしょうネー、そういう出会いッテ。たまたまその方が岡山のご出身だった。その時チョット暇だった。デ、PCを持っていた。一応S新聞は地元関係では有名だった。デ、S新聞はHPを持っていた。更に、私が子作りが下手で子供がまだ幼かった。まだ8歳。私の同級生で孫の居る奴も居ますからネ。デ、ウイーンに日本語を話す子供の会ナンて・・・漂うモノがあった。デ、双方の子供がそこに通ってた。

 デ、私、気まぐれで子供の会の事をHPに書いてみようトカ思った。その前に、S新聞の物好きな友人、「イ」というヤツですけど、が私に何か書かせようナドという暴挙に出た。デ、お調子者、一部で「カ」と名乗ってるヤツですけど、は勝手気ままに1年以上書き続けてしまった。ありがたいことにお上からのご注意もなく、一般社会からのお叱りもなく。

 デ、魔が差したそのお方が魔界ともいうべき世界を覗いてしまった。しかも少し奥深くまで。ト、そこに思わぬ光り輝くモノが・・・ト、なったわけでして。勿論お嬢さんの留学・・・幸せ・・・誕生・・とかがその間に入るンですけど。

 こうやって書きますと一つの物事テノは面白い偶然と必然とのかなり複雑な組み合わせで成り立ってますよネー。ト、暇つぶしに考えたりして。しかもこの方、私が日本の大学時代、同時期に別の科で教えてらっしゃったトカ。狭い学校ですからキットどっかですれ違ってるでしょうネー。イヤ、面白いですネー。デ、勝手に書いてしまってスイマセン。

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 梶浦さんのメールアドレスは wien@sanyo.oni.co.jpです。梶浦さんへのお便りや、作品についてのお問い合わせをどうぞ。