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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。
梶浦氏へのメールは
wien@sanyo.oni.co.jp
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

  こんなトコに住んでますと日本じゃマズやらないだろう、やる機会がナイだろう、テ 事が結構あるンですヨ。

 先日はテレビドラマ、だと思うンですけど、の撮影テのに付き合いましてネ。こっち のヤツなんですけど。

 デ、出演するンですけども。当然演技ナンてのは出来ませんので、ボーッと立ってる とかアッチ行けホイホイコッチ見てハイハイの単なるエキストラですけどネ。結構い いバイトになるンですヨ。今までも何度か映画ですとかやったンですけど、半日で2 万円ぐらいてのもありましたネー。

 男はつらいよ、日本のですネ当然、にも出させて戴いてンですヨ。1988年でした かネ。こん時ャ安かったですネー。いつもの3分の1ぐらいでしたネ、ギャラは。デ モ楽しかったですけどネ。広告のモデルてのもやりましたネー。日本の商社マンの設 定。一応面接がありまして、プロダクションの人が我が家に来ましてネ。写真まで撮 ってったンですヨ。デ、即OK、ト。あまり坊主頭の商社マンていないと思うンです けど。どっちかッてーと土木関係に見えるかト私。

 今回まず知人から電話がかかってきましてネ。30歳〜60歳ぐらいの日本人男性が 15人必要なんだけど集めて欲しい、ト。デ、プロダクションからも電話がありまし て、カクカクシカジカでアレコレドウシタ、ト。デ、お前もでろ、ト。

 人集めがナカナカ難しかったですヨ。この年代のヤローで暇してるヤツての結構少な いンですヨ。大抵は堅気の仕事をしてますからネ。副業をするとチョイヤバイてのも ありますしネ。大使館の方々にも声をかけてみよう、とも思ったンですけど、暇かも 知れませんのでネ、単に時間の無駄ですからやめましたけど。デ、撮影が3日間日に ちトビトビ。ですから尚更難しい。

 デ、マ、ナンとか人数が揃いまして、全部私が集めた訳じゃありませんけど、初日の 収録に行って来たテ訳でしてネ。

 メーデーの日の早朝でしたけど、日本人のヤロー集団がある場所に集まりましてネ。 チョット異様な風景。ナンか怪しい雰囲気。ナンせ先方の指定で皆ダークスーツ着用 ナンですヨ。今回も商社マンの設定ですけど、殆ど別分野に見える方々でして。例え ば・・・。デ、マイクロバスに乗り込みまして郊外へ。30分ほど走りましたかネ。

 着いたところは商業団地の中。ペイント会社の事務所兼倉庫ですかネ。スタッフの方 々はもう撮影機材とかセッセと準備してるとこでしてネ。デ、我々、まず見つけたの がケータリングのトレーラー。お食事所ですネ。如何にも撮影現場テ感じですネー。 雰囲気ですネー。デ、我々、早速パクつく・・・集団。早朝ナもんですから腹が減っ てましたンでネ。・ジ汚いともいえますけど。

 デ、助監督さんから説明がありましてネ。アーシテコーナルカラドウシテコーラコマ ッタ。デ、撮影へ。監督さんこの近辺じゃ結構有名な方らしいンですけど、ワタシャ ???。ナンせドラマてのは全く見ないもんですから。日本でもですけど。デ、俳優 さんがお2人。主役のオッさん、ヤッパ有名なお方らしいンですけどヤッパワタシャ ???。デ、秘書役のお姉さん、ナカナカ素敵な方でしたヨ、の方についつい目が行 きがちに。

 その日は1シーンだけでしたけど3ツ4ツのカット割りで撮影しましてネ。リハーサ ルも含めて2時間ほど。

 デ、私、役者さんに写真を撮らせて戴きましてネ。ト、皆、一緒に撮りたがる。腕を 組んだり抱きついたり。逆立ちバック転腕立て伏せ。大ミーハー撮影大会に盛り上が りまして1日目終了。取り敢えずこの日は楽なバイトでした。

 次回はお食事の場面トカ、どうなりますかネ。

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 梶浦さんのメールアドレスは wien@sanyo.oni.co.jpです。梶浦さんへのお便りや、作品についてのお問い合わせをどうぞ。