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岡山出身でウイーン在住の造形作家・梶浦徳雄氏による電子メール通信。
梶浦氏へのメールは
wien@sanyo.oni.co.jp
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梶浦徳雄氏プロフィル
1951年岡山県都窪郡妹尾町(現岡山市妹尾)に生まれる。妹尾小、岡大附中、朝日高、東京芸大、同大学院に学ぶ。1981〜82年にはウイーン国立美術大学(オーストリア)に留学。一時帰国の後、1986年、再びオーストリアに渡りウイーン市に滞在、美術作家として制作を続け現在に至る。オーストリア国内各地、ドイツ、スイス、イタリア、リヒテンシュタインなどヨーロッパ各地やカナダ、日本でも多数の個展、グループ展及びアートフェアの実施、参加により作品の発表を行っている。
 

 デ、朝までグッスリ、寝たかったンですけど、4時半頃チョットトイレにと目が覚め てしまいましてネ。イヤ、夜中の修道院、ナカナカの雰囲気ですヨ。特にこの時、こ このホテル部門に泊まってるのは私ら2人だけ。静けさも更にという感じでして。

デ、朝9時からTVの取材だッてんで8時に朝食を。静かな雰囲気、何たって他に客 がいないンですから、の中コーヒーをすすりながらパンをかじる。バターにジャムに ハム、チーズ。美味しく戴きながらマクラ君とその日の予定、手順などをのんびりと 確認しまして、デ、ギャラリーへ。

 現場制作の方は前日ある程度イメージがでてましたンで、即取りかかれましたヨ。暫 くしますとハムベルガーさん(画廊責任者)登場。前日配置しておいた私の平面作品 をどんどん掛けていく。ト、撮影隊御一考、といっても2人だけですけど、がいらっ しゃいましてネ。アアシヨウコウシヨウドウシヨウと。ワタシャ構わず制作続行。

作業テいいましてもネ、まず形を決めましてネ、デ、ひたすら鉛筆を走らせる。要す るに黒くするンですけど。画面表面は内装用の塗料で細かい凸凹が一面にありまして、 しかも半光沢。想像以上に鉛筆の消耗度が激しい。用意した愛用のハイ・ユニ君、モ チ日本製ですけど、が足りるかどうか。勿論ただ鉛筆を走らせるだけじゃ十分黒くな ってくれない。デ、いつものように必殺?布すり込み。これも予想以上にパワーが必 要でして、すぐにすり切れる布さんゴクロウサン。

 このすり込み、よく手でもやるンですけど、今回はチョットご遠慮。手の皮簡単にす り切れちゃうでしょうネ。デ、悪戦苦闘の末、結果予定より随分早くワタシャ午前中 に一応出来上ッちゃいましてネ、コリャラッキー、と。タダ、完璧スタミナ切れのハ ラヘロ状態。マクラ君は道まだ半ばチョイ手前の三軒隣東入る。撮影隊は近づいたり 離れたり、結構興味深く我々の作業を記録してましたヨ。ふと顔を上げますと、30 cm程のとこにTVカメラがありまして、思わずポーズ。マ、カットされるでしょう ネー。

 デ、最後にインタヴュー。あまり気乗りがせず隠れてたンですけど、見付かってしま いましてネ。デ、ドイツ語での説明は・・・とか今日はもう疲れて・・・とかの逃げ 口上。結局私が日本語で喋り、マクラ君がドイツ語に訳す形で撮影したンですヨ。 デ、彼、マクラ君ですけど、は日本語は出来ないモンで、事前にワタシが説明してお く、テ訳でして。しかし、コッチのヤツらホントよく喋りますよネー。些細なことも アーだコーだ手を換え品を変え延々とテナ感じが多い。

 マクラ君、彼はそんなに喋るタイプじゃ無いンですけど、私が日本語で喋った倍以上 の内容をドイツ語で説明してくれましてネ。ホント、私の作品をよく見てくれてます ヨ。感謝感謝。

 デ、夕方までに一応展示も無事終わったンですけど。今回の展示テーマ、マ、いつも ナンですけど、は「間」。つまりお互いの更なる関係作り。2つの個がどのような世 界観(存在)を生み出せるか、テ事ナンですケド。これ、困ったことに良い状態が生 まれて来れば来るほど何らかの欲求も生まれてくるンですよネ。

 デ、もっとアアしろ とかコウしたらッて作品とか空間が言ってくる。更に次への展開についても。非常に 漠然とした感覚的なものナンですけどネ。デ、ホッとする間もなくついつい次の事や ら考えてしまう。

 マ、この日は頭も感覚もフルになってまして、チョイ気分転換に近くの街に夕食にい ったンですヨ。次の日もう一度展示の点検や夕方にはオープニングのパーティとやら ありますンでネ。いろんな人がいろんな質問とかしてきますンで、その前にチョット 新鮮な空気トカを入れませんとネ。

 幸いお天気、気温も心地よくって飯屋のお庭でのんびり。

 デ、少し早めにご就寝。このまま朝まで、ガ、またまた4時半頃・・・・・ハハ

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 梶浦さんのメールアドレスは wien@sanyo.oni.co.jpです。梶浦さんへのお便りや、作品についてのお問い合わせをどうぞ。