ウイーンは音楽の都ナンて言われてまして、オペラ劇場ですとかコンサートホールとかがアチコチにあるンですヨ。チョット歩けばキーケーコーカー。右に回ればブチャンチャガチャドシ。左にスキップガオワオゴーガーでして、静かに暮らしたい方は耳栓着用が義務づけられてまして、ウソです。
マ、街中音楽では取り敢えず盛り上がってますネ。その中にひっそりと、ホント慎ましやかにですヨ、芸術家協会ナドと言う美術トカをやってる連中の溜まり場がありましてネ。一応歴史はそれなりに古いンでして、1868年にアオグスト・ヴェーバーてお方が建てられた、手伝い大工さん他、トカ。
お隣に、ワタシャ音楽の都の有名建築テ派手なツラして楽友協会トカ言う建物、お写真載っけておきますけど、がふんぞり返ってまして。エエ、ウイーンフィルとか言うそれなりにましな演奏とかをやる楽団の本拠地。1869年生まれの一歳年下ナンですけどネ。
マ、実際遙かに有名、チャント稼げてるらしいですけど。最近ここも経済的に苦しくなってきたのか日の本とかいう東の果てのお国から訳の分からない素人、時々頭に「ド」付き、の方々がやって来ましてガオワオやって満足してお帰りになってるみたいですけど、マ、過分にお支払い戴けるトカ、商売商売テ感じになってまして。それに絡んで銭儲けをト必死で聴衆をかき集めたりしてる方々もいらっしゃいまして、私もよくお手伝いさせて戴きますけど、コレ結構大変。放っといたら誰もワザワザ聞きになんて来やしませんからネ。
デ、芸術家協会。当時、リンク通り建設時代ですネ、美術家のための立派な建物が出来るてンで小さい単位でありました美術家の集団トいいますかグループがですネ、マ、アチコチから集まってきましてネ、デ、チョットばかし大きな集団になったンですヨ。
デ、そこを中心にみんなでワイワイやろうト。デ、そん中には当然のように威張るヤツもいるわけでして、特に古い権威主義を後生大事に持ってるヤツらは。
デ、一緒にナンかやってられッかト飛び出した集団もありまして。分離派トカ言ってる集団もソレでして。何故かソッチの方が世の中で有名になっちゃいましたネ。
ギュスタフ・クリムトですとかオットー・ヴァーグナーですとかエゴン・シーレ。この名前お聞きになった事のある方も多々いらっしゃるかと思いますけど。今じゃヤツらの作った作品はここの宝のようになってましてネ。ガ、頑張りすぎたこの集団、彼らが亡くなりますと、1918年でしたかネ、纏めて・・・でして、今一調子が出なくなりまして、デ、今はもう無くなっちゃいましたケド。集まってた建物は名所になってますネ。
マ、芸術家協会の方は生き延びてましてイロイロとそれなりに派手な活動をしてたンですヨ。ヤッパでかい面してましてネ。20年ほど前、日本に帰ってた時期ですけど、になりますか、誰か、もう忘れましたケド、の紹介で、ここで展覧会をやりたいンだけど、ト、責任者を訪ねた事があるンですヨ。日本からヨイショと来ましてネ。ト、4週間貸してやるから300万円程払え、ト。デ、ザケンジャネーと建物をひっくり返して帰ったことがありましてネ。それ以来その集団は無視してたンですけど今年、モウイイカ、ト会員とやらになったンですヨ。
ト、作品を展示するから3ツ程持っといでト電話がありましてネ。デ、先日展覧会があったンですネ。ただし一晩だけの展覧会。協会友の会の人を集めまして、ウイーン国立美術大学の学長で今度この集団の責任者になるとか言うオッさんがナニか喋るンでついでに展示もトなったらしいンですヨ。一緒にレンブラントさん、ご存じですよネ、の版画、エッチングですけど、も沢山並べられてましてそれなりに面白い展示ではありましたヨ。
マ、この集団も最近だんだん経済的に苦しくなってきたようでして、国や市からの援助も先細りでして、デ、市の美術館にスペースを提供というか貸すというかでして。そのうち消滅してしまうかも知れませんネ。
マ、会員一人一人が頑張ってナンとか立て直さなきゃナン無いのかも知れませんけど、ワタシャ経済的なこと、政治的なことに関しましては天才的な・・・・の持ち主でしてネ、余計なことはしない方がお互いのためカト。
マ、その能力を持った方が頑張ってくれるのではト、思ってるンですけどネ。私ら出来ることは一生懸命お手伝いさせて戴きますケド。取り敢えず作品は一生懸命作ります。デ、展示した私の作品。ココの作品コーナーに載っけさせて戴きますネ。
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