6月3日、オッサン、ト言っても私と同い年でして、貫禄は遙かに向こうがありますけどネ、が車で作品を取りに来てくれまして、一緒に現地に向かったンですヨ。生憎の雨でして、しかもドシャブリ模様。画廊のある町へは通常西方向の高速道路に乗って行くンですけど、ナンとオッサン南方向へ。いつもその路線で花の都に来るトカ。工事とか渋滞とか少ないらしく20〜30分早いトカ。確かに花の都を抜けるまでは結構な渋滞でしたけど後はスイスイ。マ、私ャ免許トカ持ってませんし交通事情も知りませんので従うのみ、気楽にお任せ状態。
デ、車はドンドン南へ。そのまま行くとイタリアあるいはユーゴスラビアへ行っちまうンですけど。デ、センメリング、結構有名な渓谷のあるトコでしてネ、良いスキー場もアチコチにあるトカ、辺りで西方向へゴメンナサイヨ、ト。デ、ドンドン山ン中に入っていくンですヨ。周りの景色はナカナカのモンでして、さすが渓谷トカ感心しまして。これで晴れてりゃ言うこと無しでしたけどネー。お写真?・・ンなモン撮れませんヨ。途中で車を降りてる暇トカありませんしネ。車ン中からじゃ全部ブレますし第一雨で外はよく見えませんしネ。途中で車さんのお食事休憩1回だけ。そン時ャ私は缶コーヒーに喫煙タイム。今日も美味しいハイライト、ト。
デ、6時40分頃、夕方ですヨ、画廊に到着。3時間半程かかりましたかネ。花の都の渋滞がなければ3時間で到着でしたでしょうか。マ、順調にですネ。オヤ、もう立派な看板がセットされてますヨ。嬉しいナ、ト。一緒に展覧会をやるマクラ君、朝から画廊に押し掛けてセッセと作業中でして。壁に直接描いてンですヨ。コレ彼の得意技。1988年でしたかネー、最初に一緒に、一緒になったのは偶然ですけど、展覧会をやったとき、私が展示に行きましたら別の部屋でヤッパセッセと壁に直接描いてましてネ。こン時ャチョイ驚きましたヨ。気楽に、私ニャそう見えたンですけど、壁に描いてる彼にもでしたけどそんな事画廊がよくやらせるナ、ト。デ、こういうのッテ売れるンだろうかトカどうやって売るンだろうかトカ不思議でしたネー。マ、ヤツ、結構注文があって会社ですとか個人の家ですとかに描きに行ってますヨ。
デ、私達、数週間ぶりの再会を喜び合って軽く打ち合わせ。デ、オッサン家で夕飯をご馳走になりましてネ。スープにサラダ、メインはお魚。美味しかったですヨー。デ、コッチのヤツら目一杯食った後でも、もう食えネー、と言いながらしっかりデザートドッサリケーキですヨ。ワタシャ普段デザートはいらないンでしてコーヒーがあれば十分。後は一服煙のクッキーですかネ。マ、端っこをチョイトだけお味見させて戴きましたケド。
デ、画廊に戻ってマクラ君は作業続行、ワタシャ作品の梱包を解きまして展示のプランをzzzzz・・・ 11時過ぎにお泊まりのホテルにテクテクと。ト、フロントには誰もおりませんでネ、呼んでも出てこない。マ、鍵は事前にもらってましたンで、これで良いのかトカ思いつつそのままお部屋にでしたネ。
次の日、朝鍵を預けてお出かけしましてネ、もっと遅くなったンですヨ帰りが。ヤッパ誰もいませんでネ、どうしようト。レストランに人がいましたンで聞きましたら、勝手に鍵を持ってヶ、ですト。イヤ大らかですネー。さすがオーストリアの田舎。
ト、いつの間にか6月4日。飾り付け開始ですネ。8時半頃お散歩気分で画廊に。お外は雨。マクラ君は7時半頃来てたみたいでして既にセッセと壁塗り作業中でして。デ、私の方はト言いますと、額に入れる作品を選びましてネ、デ、オバサンに渡すンですヨ。ト、サササササッと額入れ完了。イヤ、なかなかの手際で。
デ、それが終わるとオバサン今度はマクラ君のお手伝い。金槌、釘に水準器。シュッシュシャカシャカトントンコトッ。オッサンは全く手を出さずでして。デ、オッサン曰く、カミサンが言うンだよネ。俺には足しか付いてないッテ。ワタシャ一人のんびり作業続行。マ、結構順調に進みましてネ、午前中には殆どOK状態。デ、マクラ君の様子見。オバサンと2人で悪戦苦闘中。1mm右がドウノコウノ。今度は左がアアシタコウシタドウシヨウ。
オッサンは別にただボーッとしてるだけじゃないンですヨ。大切な役目がありまして、オープニングの解説てヤツが。デ、原稿作りに忙しいンですヨ。コッチの展覧会ジャ最初に誰かが作家トカ作品トカの解説をやる事が多いンですヨ。デ、それで結構画廊トカ展示トカ作家トカの格式テ言うンでしょうかネー、が測られたりもしましてネ、ソコソコ大事。オッサン曰く、より簡素な言葉でより簡潔に。
デ、私にゃ実際結構難しかったですけど、マ、これも我ドイツ語能力の賜カト。ハイ、午後3時前には展示終了時間が余ったどうしよう状態。イエイエマダマダ作品のタイトルと価格表作りが。今回私ャ余計なことナシ。タイトルは全て“ma”。これのみ。デ、値段はzzzzzz・・・・・
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